In the Woods... の経歴 -ボックスセット"Heart of the Woods"より-

僕が高校生の頃、虜になったバンドのひとつがノルウェーのブラック/ゴシック/プログレッシブメタルバンド「In The Woods...
三枚のアルバムを出した後に、2000年に解散。2013年にオリジナルギタリストOddvar A:Mか亡くなったのを経て、2014年に再結成をアナウンス。その際に過去の三枚のアルバムを集めた「HEART OF THE WOODS」がリリースされた。そのブックレットに記載された、In The Woods...について再結成メンバーが語った、かつての結成の経緯や各アルバムにまつわるエピソードについて、和訳を載せていくつもりです。長いので以下四つに分けて掲載します。
●結成からデビューへ ※本投稿に掲載
●1stアルバム「HEart Of The Ages」
●2ndアルバム「Omnio」
●3rdアルバム「Strange in Stereo」(作成中)
まずは「結成からデビューへ」は本稿下部に和訳載せます。その前の私自身のIn TheWoods...を好きになるまでの経緯が邪魔な人は、かっ飛ばして下部を参照ください 笑


中学生の終わりごろにMetallicaのブラックアルバムを聴いて始めてヘビーメタルの音楽に取り憑かれた。その激しさというよりも、歪むギターの低音弦の響きの重い物悲しさ、そこが最も魅力を感じた所だった。 
そこから他のスラッシュメタルバンドを聴いてみたものの、しっくり来なく、気に入ったのはSepulturaのChaos ADやRootsくらい。では違うジャンルへと思い、デスメタルとして手にしたのはCynicのFocus。大変気に入ったのだが、当時は既に解散しており、またデスメタル界では特に異質なバンドであって、その他のデスメタルはいくつか聴いてみたものの、Cynicのように気を引かれるものはなかった。
当時は現在のようになんでも視聴できる便利な世の中でない上、学生の財布にも限界があり、無闇に買い漁れない状況もあった。90年代はメタルは下火になり時代遅れの産物となりつつあったが、北欧を中心としたメロディックデスメタルが盛り上がりを見せ(現地がどれくらいの状況だったのか分からないけれど…)、日本の雑誌Burrn!で特集され、期待のバンド達を紹介していた。
うろ覚えだが、In Flames/Jester Race, Cradle of filth/Dusk and Her Embrace などが載っていた中、僕が一番気になったのが、陰鬱なモノトーンの森の景色のジャケット、In The Woods... 「HEart Of The Ages」だった。暗い物悲しさを求めいた僕には
"ひたすら暗くスローなブラックメタル" 
"情感の表現力は群を抜いている" 
といった説明が気になった。当時はブラックメタルが何なのかさえよく分かっていなかった自分が、御茶ノ水のディスクユニオン メタル館に通うようになったきっかけにもなった。まだ現在の駅前ではなく、オーディオユニオンの脇にあった細い路地の奥の突き当たり。怪しい薄暗いネオンサインが光る店舗。そこで手にいれた1stアルバムの、まさにジャケットのイメージ通り、凍える森の中をさ迷っているかのようなサウンドにやられてしまった。それでは以下にIn The Woods...のデビュー至るまでの経緯の和訳をどうぞ。

-----------
我々は今、時系列順にまとめられたコレクションを手にしている。再び呼び起こされる記憶、In the Woods... の初期の事や、その解散に至ることまでの事を明らかにする必要がある。
双子のボテリ(Botteri)兄弟、クリストファー(Christopher "C:M." Botteri -Bass)とクリスチャン(Christian/Chris "X-"Botteri -Guitar)は、1988年にスウェーデンに住んでいて、バソリー(Bathory/ブラックメタルに影響を与えたと言われるスウェーデンのバンド)に影響を受けていた。
クリスチャンは初期のバンドにクォーソン(Quorthon/Bathoryの中心人物、故人)の持つ要素を盛り込もうと試みていたが、歓迎されることはなかった。初期のGreen Carnation (In the Woods...の前身バンド)が目指していたのは、Betrayal(アメリカだと思う)の様なスラッシュメタルの要素やフロリダ-デスメタルの要素であった。ブラックメタルに影響されたこのギタリストのリフが使われることは無かった。新たなボーカリストを迎えるまでは。マイクの前に立ったTom Ellingsen(現在はHjellnes)と共に作製されたデモは、ブラックメタル系の暗い雰囲気で、それが見事にバンドの雰囲気に合っていた。
しかしTarje Schei(Green Carnationの中心人物で、後にTchortとしてEmperorに加入)とTomの脱退によってGreen Carnationは解散した。残された悪童三人、ボテリ兄弟とアンダース コブロ(Anders Kobro -Drum)はその後の計画を立てた。共に活動続けることを決め、ボーカルにJan kenneth(Transit)、ギターにOddvar(A:M)を加えて、93年にリハーサルテープとデモをリリース。Misanthropy Records (Burzumのアルバムをリリースしたレコード会社)の関心を惹き付ける。事実、In the woods...の話によれば、Misanthropyを主宰する女性Tizianaは鋭くも、リハーサルテープの時点で既にバンドと契約を交わしていたが、バンドメンバー側が準備できておらず、1年後となるが、「HEart Of The Ages」がMisanthropyのロゴを冠し、In the Woods...をイメージが注目され、優れたブラックメタルが溢れたシーンに進出させた。

クリスチャンの話によると、決してノルウェジアン・ウェイブ・オブ・ブラックメタルという第2シーンに登場した訳ではないと言う。「全くそのシーンに関係させる事が出来なかった。In The Woods...は決して流行に乗れた訳ではなかった。それが私達が自然と感じたことだ」と彼は語った。アンダースが付け加える「そして我々は自らをブラックメタルとは決して呼ばなかった。インナーサークル(メイヘムのユーロニモスが中心となって教会放火などの犯罪行為をしていたと言われる組織)と呼ばれるものや、ブラックメタルエリートと称するブラックメタル界から注目されてはいたが、演奏するもの、サウンドの手法、行動など、強い影響を受けてはいなかった」

4000個以上製作されたデモテープ「The Isle Of Man」は、このバンド最後の純粋なブラックメタルサウンドとなった。その理由をクリストファーが明かした 「デモデープがリリースされた頃、我々は家でピンクフロイドやキングクリムゾンを聴いていた」
この事がデビューアルバムの音楽性を形成していた。しかし、人々がどんな反応を示すかという事に気にも留めていなかった。彼等はただ「…気にはしない。我々は自分のやりたいことをやるだけ」アンダースの感覚に決まり事や境界は無かった。デモの後にJan Kennethの粗いブラックメタルスクリームが無くなった理由は、悪童3人によると、その能力の欠如によるものだと言う。
「Jan Kennethにはその手の技術が無く、声を乱していた」クリストファーはこのボーカリストのクリーンな歌声の能力に唖然としたしたと言い、こう続けた「彼がこんなに優れた物を持っていると分かっていたら、デモにもこのスタイルの歌を取り入れていたよ」

コメント

人気の投稿